究極のやさしさ

伊敷豊

2006年07月07日 22:05




信頼するKさんの講演のCDを車の中で聴いていました。

おだやかで、
あやすような言葉の響きに、

Kさんが助手席に座り話しかけているような錯覚に陥るくらい
身近にKさんがいる感じに落着いた気持ちになれました。



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講演の中で、Kは「やさしさ」について話していました。


普通のやさしさは
困っている人がいるのなら
魚をあげること。


究極なやさしさとは

困っている人がいるのなら
魚をあげるのではなく
釣り方を教えること。


釣り方のノウハウだけでなく、
なぜ魚を釣るのか、なぜ食べるのか、なぜ生きるのか、
その意味を考える力を付けてやることだと。

Kさんは「やさしさ」の源泉を掘るにはどうしらたいいのか語っていました。





食べることに困っている人に
魚を与えることをやさしさと勘違いしている人は多い。

そのやさしさは安易です。

魚を与えられた人はどうなるのでしょうか?

また、魚をもらえるとおもい、更に怠惰になり
どんどん依存体質を悪化させてしまいます。

魚を与えた人は
やさしさだと勘違いし、
その人をダメにしていると思っていないので、
問題は複雑になっていきます。

やさしさが、あだになるとは、このことです。

やさしさの本質を知らないということは、
ある意味恐ろしいですよね。

依存関係は、一方が依存しているのではありません。
互いが依存し合っているのです。

だから依存関係は続いていくのです。


依存関係は互いの心のあり方が
低いレベルの時に陥りやすい。

高い意識レベルの人は、互いの関係を依存ではなく
尊敬する関係にもっていきます。


究極のやさしさは
生き方そのものに影響を与えるのだと
Kさんの講演を聴きながら改めておもいました。





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