2008年04月09日

裸の王様

裸の王様


月光仮面の原作者・川内康範氏が亡くなった。
ご冥福をお祈りします。


「おふくろさん」の作詞家・川内さんと歌手・森進一さんとの騒動はメディアを話題になりました。
夕刊フジに、川内さんの独占手記が寄せられています。

騒動の顛末だけでなく、
手記で書かれている川内さんの危惧はすべてに通じるので転載します。

裸の王様ありがとう!よつば

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戦後60年余り、日本は本当に殺伐とした国になってしまった。
物質万能の世の中になり、義理も人情も薄れた。愛も正義も廃れてきた。
親の子殺し、子の親殺しまで起きている。実に悲しいことだ。

今回の一件は、日本人が常識を失い、心が崩壊しつつある象徴的な出来事かもしれない。

森が「おふくろさん」の冒頭に勝手にセリフを入れて歌っていることを、私が知ったのは10年ほど前になる。それ以来、何度も「止めるように」と指示してきた。

ところが、森は昨年の大みそかのNHK「紅白歌合戦」でまたセリフを入れた「おふくろさん」を歌った。
これは許すことはできない。

あの歌は、私の亡き母の教えである「無償の愛」「普遍の愛」を、
小説やシナリオとともに、作家として可能な限り込めた心骨である。

私は北海道函館市で育った。
もとは商家だったが、父は途中で仏門に入り住職になった。
家には檀家の方々が供えてくれた米やお菓子、果物があったが、母はそれを子供たちにはほとんど手をつけさせず、ある程度たまるとリュックサックに入れて、「さあ、行くよ。黙って渡すんだよ」と貧しい人々に配って歩いた。

「世の中にはやむを得ず、ああいう生き方をしなければならない人もいる。
大きくなったら、人々に幸せをあげられるようになりなさい」

そう母は教えてくれた。
隣人を愛し、社会に献身せよ。これが、無償の愛、普遍の愛だ。
森がセリフで加えた「いけない息子の僕でした」というのは個人的な母への心情であり、志がまったく違う。

人が心血を注いだ作品を勝手に解釈し、何の断りもなくセリフを追加しただけでなく、
何回注意しても「放っておけばいい」とでも思っているのか、無視して止めようとしない。

で、今日を迎えた。

今年に入り、私は再び森に強く抗議した。
2月半ば、「本人が事情説明する」というので待っていたら、体調不良を理由に一方的にキャンセルしてきた。

問題が大きくなって、私の都内の宿泊先や青森県の自宅を訪ねてきているようだが、
報道陣を引き連れ、さも自分が被害者のように振る舞っている森の「三文芝居」に、もう私は付き合う気はない。

歌は人の志を運ぶ船。
歌の心が分からないだけでなく、常識が欠落したような人間には、私の歌を歌う資格はない。

それにしても、日本にはいつの間にか、森のような自己中心的な人間が増えた。

日本人はかつて倫理観や道徳観に優れ、豊かな人間性を世界に誇っていた。
何よりも名誉を重んじ、貧困より正直さを選ぶ国民性を持っていた。

それが第二次世界大戦で敗れ、戦後、経済発展だけを目標に邁進してきた結果、
「自分さえ良ければいい」「儲けるヤツが正義」といった利己主義や金銭万能主義が蔓延した。
常識が欠落し、心が崩壊したおぞましい人間ばかりが増えてしまった。

むき出しの欲望がぶつかり合うような、殺伐とした世の中では国は滅びる。
義理や人情、愛や正義が無くなれば、この世は闇だ。私は歌で日本を再生させたい。
これからも、人々にやすらぎを与えるような歌をつくっていきたい。


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皆さんご存知かも知れませんが、著作権というのがあり
著作者の了解がなければ、無断で著作物は変更できません。

著作権者である作家の意図に反することは論外です。

森さんは、アーティストなので、そのことは十分理解しているはずです。

仮に森さんが付け加えた「…いけない息子の僕でした」を
誰かが、自己解釈し変えたら森さんも「勝手に解釈するな」と憤慨するに違いありません。


川内さんは、森さんが、勧告を素直に受け入れるよう10年も待った。
しかし、森さんは勧告を受け入れず無視続けた。

川内さんでなくても、誰でも切れるはずです。

森さんも大御所。
諫言する人が周りにいなくなってしまったのでしょうね。

とうとう、森さんは「裸の王様」になってしまった。

トップに立つと勘違いしてしまう。

勝手に、都合の良いように自己解釈してしまう。
そういう自己中の社長さんは多い。

面白いことに、その様な会社の社長の周りには、「社長、素晴らしい」という茶坊主ばかり。
社会に通用しない、おかしなルールがどんどんできる。

誰も諫言しなくなったら会社も終わりです。


裸の王様である森さんが今後どうするのかは、あまり興味ないのですが……

川内さんの手記で書かれていた危惧に関心があります。


~「自分さえ良ければいい」「儲けるヤツが正義」といった利己主義や金銭万能主義が蔓延した。~


そう思います。

ちんけなプライドにしがみつき、相手を見下し、誰でも利用する。
オゾマシイ…が、そういう輩が多くなった。

川内さんのいうように義理も人情もない。

こういう時代だからこそ
本質を見極める目を養いたいものです。





ところで、裸の王様は、何時気がつくのでしょうか。

そういう人は、少し反省してまた繰り返すので、
ガツンとやられないと目が覚めないのでしょうね。



裸の王様ありがとう!よつば



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この記事へのコメント
裸の王様になってしまったトップは

  これまでこのやり方で自分はここまで来たんだ。
  だから、このやり方が足りないだけ。
  もっと徹底的にやるだけだ。

と思い込んでいるように見えます。

これまでにどれだけ長い年月を経てきても
だから正しいとは限らない。

間違いと向き合う勇気をもてるかどうか。

そのような精神的な勇気とは、
ほんとうに素直な心で
人の言葉に耳をかたむけられるかどうか

ではないでしょうか。
Posted by gb at 2008年04月10日 09:21
GBさん

>これまでこのやり方で自分はここまで来たんだ。
>だから、このやり方が足りないだけ。
>もっと徹底的にやるだけだ。

↑ まさに裸の王様の典型ですよね。

なぜ、固守してしまうのかと言うと
自己否定につながるからです。

おっしゃる通り、素直に向き合うことは本当の勇気が必要です。

薄々気がついていれば見込はあるのですが
なかなか本当の勇気は醸成できるものではありません。

何かしらの大きな転機がなければ気づくこともできないでしょう。
その為に必要なことが必ず起きるはずです。
Posted by 伊敷豊伊敷豊 at 2008年04月10日 11:41
王様は、裸だっ!でーじな まるばい!

って

僕は、叫ぶタイプの人間です
僕は、空気のよめない、KYです

その為、僕は色んな修羅場に遭遇する
タイプの人間です。(最近は言わない)

でも

それは、王様のためだけじゃなくて
自分が自分らしくあるために叫びたいのです。

今一度、自分を見つめ
己の本質とちゃんと向き合いたいと思いました。
Posted by ブルースビーチ at 2008年04月13日 13:42
ブルースビーチさん


王様は、素直な子供に「王様は裸」と言われてしまいます。

ブルースビーチさんは「素直王」なんですね。
素晴らしい。

素直王なブルースビーチさんは、
直感で本質を見抜いていると想います。
Posted by 伊敷豊伊敷豊 at 2008年04月14日 03:35
はじめまして・・・

森進一が歌う前にセリフを話すのがなぜいけないのかやっと理解ができました。解釈を変える一言だったんですね~納得です。

ワイドショーでは教えてくれなかったです(笑)、ありがとうございました。
Posted by 和家若造 at 2008年04月26日 21:49
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